展示車紹介
憧れの輸入車から昭和を彩った懐かしの名車、庶民のための軽自動車、商用車まで…
駄知旧車館に展示されている展示車の一部をご紹介します
憧れの輸入車たち
Mercedes-Benz TYPE 220(W187, 1952 / 昭和27年式)
1951年のフランクフルトモーターショーでデビュー。現在のフラッグシップモデルであるSクラスの元祖にあたる。第二次大戦後、いち早く生産を再開したオペルに奪われていた6気筒モデルの市場を取り戻すため、戦前以来唯一生産が続いていた4気筒モデル(W136)をストレッチし、82HPを発生する2.2LのSOHC直列6気筒エンジンを積んだ。フェンダーに埋め込んだヘッドライトに新規性がみられるが、それ以外は戦前のデザインを色濃く残している。
レストア工程のブログ記事はこちらVOLVO 122S AMAZON(13B20型, 1969 / 昭和44年式)
1956年に発表され、頑丈で信頼性が高いモデルとして、10年以上にわたりボルボのベストセラーとなった。ボルボ初の箱舟型デザインで、いくつかの要素は最新型にも継承されている。1.6Lから始まった4気筒エンジンは1.8Lを経て2L 115HPまでパワーアップされ、アクロポリス・ラリー優勝という輝かしい戦績も残した。今なお世界中で活躍し、走行距離100万マイルを超す個体もある。展示車は2Lエンジンと4速MTを積んだ2ドアスポーツモデル。
PANTHER LIMA(1987 / 昭和62年式)
他社製の車台を改造してレトロ・スタイルに仕上げるイギリスの小規模メーカー、パンサー・ウェストウィンズ(1972-1990)が最も成功をおさめたネオ・クラッシックカーで、'76年から'82年までに897台が製造された。ベースのボクスホール・マグナムにオリジナルデザインのFRPボディーを載せ、30年代後半のオープン2シーターの雰囲気を比較的安価に実現した。展示車は当館のレストア一号車で、その後の夢を膨らませる元となった。
昭和を彩った懐かしの名車たち
トヨペット クラウン・デラックス(RS31型, 1961 / 昭和36年式)
トヨタ自動車が、1955 年に送り出した初代クラウンRS30の後期型。当時の国内メーカーは欧米メーカーとの技術提携によるOEM 生産が主であった中、トヨタは純国産に拘り、開発主査制度を導入して元祖国産高級車を作り上げた。後席の乗降に配慮した観音開きのドアが特徴的で、ダブルウィッシュボーンとコイルによる前輪独立懸架など世界のトレンドを取り入れている。マイナーチェンジ後は外観のリファインに加え、エンジンも1.5L 48psから1.9L 62psに拡大され、真空管式ラジオやヒーターなど、当時の高級装備も備えた。
トヨペット クラウン(RS41型, 1965 / 昭和40年式)
小型車規格の改定を受け、より大型化した2代目クラウンで、1962年から'67年まで製造された。初代の梯子型フレームより剛性の高いX型フレームを採用して、高速道路時代に対応できるボディー剛性を得た。特徴的なフロントグリルとリヤガーニッシュはトヨタの頭文字Tを意匠化したもの。上級派生車としてオールアルミのV8を積んだクラウン・エイトがある。展示車は前後の方向指示レンズなどの意匠変更を受けた2回目のマイナーチェンジモデル。
トヨタ クラウン ハードトップ 2000 SL(MS70, 1973 / 昭和48年式)
名称がトヨペットからトヨタに変更となった4 代目クラウン。自動織機から類推される紡錘形(スピンドル・シェイプ)のデザインは、時代を先取りしたもので、「クジラ」の愛称で親しまれた。しかし、その先進的な外観は、保守的な法人ユーザーに受け入れられず、販売台数でライバルのセドリック/グロリアの後塵を拝することとなり、クラウン史上最大の失敗作と揶揄された。とはいえ、堂々とした佇まいは高級車クラウンの名に恥じないばかりか、後代のモデルよりむしろ新しく見えるという、自動車デザイン史上、非常にまれな例である。
ニッサン セドリック スペシャル6(H130型, 1969 / 昭和44年式)
ピニンファリーナデザインによる2代目セドリック。先代のアメリカンデザインとは打って変わってヨーロピアン・デザインが特徴。フローイングラインと呼ばれるフロントからリアにかけて緩やかに下がっていくラインや、水平性を強調したフロント・リヤ及びダッシュボードのデザインにより、実際の大きさ以上の車格感を醸し出すことに成功している。展示車は美しいヘッドカバーを持つL20型2000ccOHC6気筒ツインキャブ仕様。
ダットサン ブルーバード(P311型, 1964 / 昭和36年式)
英オースチン(当時はBMC内ブランド)の技術提携を受け、主要部品をダットサン・トラックと共用した、初代「青い鳥」。低床式梯子型フレームとセミモノコック構造のボディーに、量産型ダットサン初の前輪独立懸架を採用し、乗り心地・操縦性ともに著しく改善して人気車となった。展示車は、デビュー翌年のマイナーチェンジ(エンジンの出力増強と、日本初のフルシンクロメッシュ付トランスミッションの採用)後のモデル。
ダットサン ブルーバード(P411型, 1967 / 昭和42年式)
フル・モノコック構造を採用した2 代目のブルーバード。初代がやや古めのデザインであったのに対し、ピニンファリーナによる欧州調の尻下がりのデザインをまとい、北米のみならず新たに欧州にも輸出された。ところが国内ではその欧州調デザインが不評で、販売台数で初めてトヨペット・コロナにリードを許すことになった。ラリーにも積極的に参戦し、1966年の東アフリカ・サファリラリーではクラス優勝を収めた。展示車は、不評だったテール形状を大幅に改めたマイナーチェンジ後のモデル。
トヨペット コロナ デラックス(RT40,1965 / 昭和40年式,1967 / 昭和42年式)
1964年デビューの三代目コロナ。宿敵ブルーバードのために国内第二位のポジションに甘んじなければならなかったトヨタは、本格的なフルモデルチェンジを実施。「アローライン」と呼ばれる特徴的なフロントノーズを与えられるとともに、それまで弱点と見なされていた華奢なイメージを一新し、高性能・高耐久を誇った。新開発1.5L直列4気筒OHVエンジンは、最高出力70馬力、最大トルク11.5kgmの出力に対して比較的軽量な945kgという車重も手伝い、時速140kmの高速巡航を可能とした。開通したての名神高速道路を使って「10万キロ連続走行公開テスト」と呼ばれるユニークな広告キャンペーンを実施し、「高速時代にマッチした丈夫で速い車」というイメージをユーザーに植え付けるなど、ハイウェイ時代 を最大限活用する積極的な販売戦略が奏功し、国内、輸出の両面で大成功を収めてトヨタの主力モデルとなったばかりか、技術レベルを一気に国際水準 までに引き上げることにも貢献した。このモデルをもって「BC(ブルーバード・コロナ)戦争」と呼ばれる熾烈な販売競争を、初めて優位に展開する ことに成功、その後の盤石な体制の礎を築いた。展示車は、ホワイトがトヨグライド(2速AT)、オレンジが3速MT仕様。
ニッサン ローレル 2000 SGX(KHC130, 1972 / 昭和47年式)
法人ターゲットの高級車ではなく、大衆車でもない、アッパーファミリーを狙った2ドアハードトップとして1972年にデビューした2代目の「月桂冠」。ハイオーナーカーという新ジャンルを開拓した。プラットフォームはC110型スカイラインと共通だが、後にブタケツと呼ばれることになる独特のリヤビューはユニークで、歴代シリーズの中でも異彩を放っている。展示車は2L 直列6気筒SOHCツインキャブ付L20型エンジンを積む最上級グレード。
トヨペット コロナ 1600S(RT40型, 1965/昭和40年式)
ブルーバードSS/SSS に対抗するため、シリーズに追加された2ドアスポーティモデル。
1.6LOHV SUツインキャブレターの4R 型エンジンは90馬力を発生、さらにバケットシート、タコメーター、4速MT、前輪にコロナ初のディスクブレーキを採用してスポーティな走りをアピール。後に1600GT(名車2000GTの弟分)を派生させるベースとなった。
ニッサン スカイライン 2000GT(KGC10, 昭和46年式)
1968年にデビューした3代目スカイライン。「ハコスカ」の愛称で親しまれ、旧車の中でも極めて高い人気を誇る。第15回東京モーターショーに出品された「スカイラインGTレーシング仕様」を起源とする初代GT-Rグレードが設定され、レースにおいては、デビュー戦以来長期にわたり連戦連勝し、通算50勝以上を挙げる強さを誇った。典型的な箱型スタイルでありながら、無類のポテンシャルを秘めた、当時の日本を代表する伝説的セダンである。
ニッサン スカイライン 2000GT(GC110, 昭和49年式)
1972年にデビューした4 代目スカイライン。「ケンとメリー」という若いカップルが日本各地を旅するCMシリーズにより、「ケンメリ」の愛称で親しまれた。2ドアハードトップ、4ドアセダン、5ドアワゴン&バンがあり、若者のみならず幅広い年代の支持を集め、歴代の中でも特に好調な販売の伸びを示した。丸型4灯のテールランプは、このモデル以降のスカイラインの伝統となっている。展示車は4ドアセダンで、「ヨンメリ」と呼ばれている。
いすゞ 117クーペ 1800XE(PA95HTE型, 1980 / 昭和55年式)
伊カロッツェリア・ギアのジウジアーロによるデザインで1966年のジュネーブ・モーターショーでプロトタイプがデビュー、見事コンクール・デレガンスを獲得し、4座のラグジュアリー・クーペという新カテゴリーを創出した。初期モデルは手作りの少量特別生産車として非常に高価(172 万円:当時同クラス車のおよそ2倍)であった。13年間にわたり生産されたが、9万台にも満たない総生産台数で、今なお愛好者が多い。展示車は、最終期のトップグレードで、電子制御燃料噴射方式直列4気筒DOHCエンジン・3速AT仕様。
庶民の頼もしい相棒、軽自動車と商用車たち
マツダ(東洋工業) T600(TEA55型, 後期型1964 - 1969年式不詳)
「けさぶろう」の愛称で親しまれることになる軽3輪トラックK360のスケールアップ姉妹車として1959年にデビュー。商用車とは思えない洒落たツートンカラーで人気を博した。ショックアブソーバは前輪のみ、油圧式ドラムブレーキは後輪のみに備わる。ビルマ(現ミャンマー)では日本の戦後賠償の一環として製造ラインが提供され、1990年代までノックダウン生産され、現在でも人員輸送などに活躍している。展示車はスチールルーフを備えた最後期モデル。
トヨタ パブリカバン(UP16V型, 1965 / 昭和40年式)
幻となった通産省の「国民車構想」から刺激を受け、トヨタ初の大衆車として開発された「パブリカ」のバン。車名は「Public Car」(大衆車)からの造語で、108万通もの公募から選ばれた。軽量フル・モノコックボディーや、トヨタ車史上唯一となる空冷エンジン(水平対向2気筒)等の開発により、軽自動車並みの廉価を実現したが、あまりのコストダウンは、大衆からも支持されず、販売は低迷した。この教訓は後のデラックス仕様に活かされることになる。
富士重工業 スバル 360(K111型, 1968 / 昭和43年式)
汎用部品を組み合わせて製作されることが多かった二輪車、軽自動車の時代であったが、富士重工業はネジ一本に至るまで独自に設計した。新規開発10インチタイヤ、日本初トーションバー・スプリング、フル・モノコック構造、FRPルーフ、アルミフードの採用等、手間もコストもかけて軽量化・効率化を追及、日本初の本格的量産4 輪軽自動車となった。独特の愛嬌を備えた卵型のシェイプは、通常より薄い0.6mm鋼板でも強度を保つことができ、現代に至るまで「てんとう虫」の愛称で親しまれている。日本工業デザイン史上で高く評価されている傑作。
ダイハツ ミゼット(MP5, 1970 / 昭和45年式)
大手三輪メーカーであったダイハツが、大量生産と低価格販売を目指して開発した軽三輪トラック。1957年に単座バーハンドルのDK 型がデビュー、2年後にドア付き二座丸ハンドルのMP 型に発展、TV コマーシャルをいち早く活用するなどの販売戦略も奏功して、1972 年まで生産されるヒット商品となった。展示車はモデル末期のMP5型で、映画「稲村ジェーン」や「ALWAYS 三丁目の夕日」などでも名脇役を演じ、旧車の中でも国民的人気を誇る。
マツダ(東洋工業) ポーター(KBDAVD型, 1968 - 1976年式不詳)
1968年から製造されたマツダの軽バン。上下分割式のリヤゲートを持つ。同型トラックとキャブオーバー型トラック(ポーターキャブ)があった。K360 の4輪版、B360をフルモデルチェンジして登場した。当初4サイクル直列4気筒OHV エンジンを積んでいたが、マイナーチェンジ後に2 サイクル2気筒エンジンに変更になった。展示車はマイナーチェンジ前の4気筒版で、荷室を犠牲にしないよう、エンジンルームにスペアタイヤを積んでいる。
マツダ(東洋工業) キャロル 360(KPDA型, 1970 / 昭和45年式)
ルーフ後方を大胆に切り落としたクリフカットと呼ばれる特徴的なデザイン、新開発の358cc総アルミ合金製の水冷直列4 気筒4サイクルエンジン、前後トレーリングアームの4輪独立懸架のサスペンションを採用し、当時の軽自動車のレベルを超えたマツダの力作。
車名は「歓びの歌」を意味し、ライバル車より価格は高かったが、デビューした1962年からの3年間は軽自動車の中で60%前後の圧倒的シェアを誇った。
ホンダ NⅢ360(N360 , 1971 / 昭和46年式)
1967年にデビューした、ホンダ初の量産型軽乗用車の後期モデル。愛らしいシルエットから「Nコロ」の愛称で親しまれた。初期モデルは廉価(埼玉県狭山工場渡しで31万3000 円)にも拘らず、当時としては珍しい前輪駆動レイアウト採用による広い室内をもち、さらにはオートバイで培った技術を活かした、軽自動車初のSOHC高出力エンジン(当時ほとんどのライバル車が20ps強であったのに対し、31ps)を搭載して大好評を博した。発売から数カ月で軽自動車ベストセラーの座を「スバル360」から奪取し、競合他社が馬力競争に突入するきっかけともなったが、軽自動車の水準を引き上げることにも大きな貢献を果たした。
開発に当たっては前輪駆動車であるイギリスの「ミニ」を手本にしたと言われ、その後たくさんのフォロワーを出したミニルックカーの元祖ともいえる。このレイアウトは現代にいたるまで軽・小型乗用車の基本的レイアウトとなっており、その先見性は高く評価されてよい。展示車は、2度目のマイナーチェンジでフロントグリルとヘッドライトが分離された、最後期モデル。
ダイハツ フェローマックス 4ドアセダン(L38型, 1970 - 1977 年式不詳)
ダイハツは1966 年に3ボックスの後輪駆動車「フェロー」で軽乗用車市場に参入していたが、1970年には前輪駆動方式を導入した2 ボックス車「フェローマックス」にフルモデルチェンジ、軽量化と大パワー化を果たした。その後オイルショックや排出ガス規制により、幾度もマイナーチェンジを受け、エンジンも当初360cc2ストローク2気筒であったが、モデル末期の1976 年には550cc4ストローク2気筒SOHCエンジンになった。
ダイハツ フェローマックス ハードトップ GHL(L38型, 1974 / 昭和49年式)
ダイハツは1966年に3ボックスの後輪駆動車「フェロー」で軽乗用車市場に参入していたが、1970年には前輪駆動方式を導入した2 ボックス車「フェローマックス」にフルモデルチェンジ、軽量化と大パワー化を果たした。その後オイルショックや排出ガス規制により、幾度もマイナーチェンジ、エンジン変更を受けることとなった。展示車は、1972年に追加された豪華仕様のGHLで、前輪ディスクブレーキに加え、レザートップも備えていた。
ダイハツ ミラ(L55型, 1984 / 昭和59年式)
ダイハツを代表する軽自動車、「ミラ」の初代モデル。1980年当初は、物品税のかからない「クオーレ」の商用車版として「ミラ・クオーレ」の名称でデビューし、1982年にフェイスリフトとAT 仕様の2速フルAT 化を受け、「ミラ」に改称した。同車名はダイハツのエントリーモデルとして販売台数に貢献し続け、様々な派生名称を従えつつ現在に至るまで継承されている。
特別展示
トヨタ クラシック(YN86改型, 1997 / 平成9年式)
トヨタの市販車生産60周年記念車として1996 年に100台だけ生産された特別限定車。「トヨダ・AA型」をモチーフとして、5代目ハイラックスをベースにトヨタテクノクラフトがほとんど手作業で生産した。現在もテーマパーク等で送迎車などの用途に利用されている。
旧車と呼べない年式ではあるが、コンセプトはクラシックということで特別に展示中。